今回は、いつまで若々しい風吹ジュンさんの昔について、ご紹介したいと思います。
風吹ジュンの若い頃はホステス
- 18歳で上京し、銀座の高級ミニクラブ「徳大寺」に勤務
- 1971年ホステスクラブに在籍中にスカウト
- 1972年 20歳の誕生日に「徳大寺」を退職
芸名は、風に吹かれたように出てきたから”風吹”、語呂がいいから”ジュン”と決まったそうです。
1973年:初代ユニチカマスコットガールに選ばれデイヴィッド・ハミルトン撮影によるポスター写真でマスメディアに浮上。
若い頃の画像を見ていると、ほんとに現在でも通じる美しさを持っているのだなと、
本心から思います。
日本人離れした美貌、歌唱力、素晴らしい才能ですよね。
歌手デビュー直後、誘拐されたってホント!?
74年5月、「愛がはじまる時」で歌手としてもデビュー、人気は最高潮に達した。
しかし、歌手デビューして僅か4ヶ月でこの騒動が勃発する。
1974年9月12日、午後8時すぎ、東京・河田町にあったフジテレビの録画撮りを終えた風吹さん(当時22歳)が帰る途中…
こわもての男たちに腕をつかまれ、車で連れ去られたのです。
「ホテルの一室には、暴力団系興行会社社長や前事務所の社長、さらには人気作詞家ら数人がいて、30分前後、話し合いが持たれた」
風吹さんは、そこで事務所移籍契約の無効を告げられた。
人気が高まる中での誘拐事件、果たして真相は!?
高輪署と警視庁捜査4課は暴力団がらみのタレント誘拐拉致監禁事件と判断…
パトカー20台、捜査員50人を動員する大騒ぎとなりました。
日付が変わった翌13日午前2時…
風吹さんは東京・品川のパシフィック・ホテルにいるところを高輪署員に発見されました。
この誘拐騒ぎは芸能界を震撼させるスキャンダルとなったのです。
かなり大規模な事件として取り上げられたようです。
心配ですよね。
当時、風吹さんは事務所移籍を巡ってトラブルの渦中にいました。
誘拐事件に所属していたA事務所(8月まで所属していた)の待遇に不満を持っていた風吹さん。
東京・上野で鉄鋼業を営むというX氏(作詞家Nの弟子)と事務所の移籍交渉に関する委任状を交わします。(8月27日)
X氏は風吹さんに対し、新事務所Bを設立…
給料を倍にすることを約束しました。
しかし、ここで別のC事務所の社長らが風吹さんに対し、
「X氏は暴力団関係者だ」
と話したことから混乱が拡大…
動揺した風吹さんはC事務所とも契約書を交わしてしまうのです。(翌28日)
こうして風吹さんは
- 「移籍を認めようとしないA」
- 「移籍交渉を委任され、仮契約をしているB」
- 「契約書にハンを押してしまったC」
と三重契約の状況になってしまいました。
その後、この事態を収拾すべく、風吹さんの録音権を持つテイチクが調停に乗り出したのです。
そして最終的にX氏がBを立ち上げて、風吹さんをプロモートすることに決まりかけたのだが、そこで先の誘拐騒ぎが起きました。
風吹さんを拉致したのは暴力団風に見えた男や元のA事務所の社員…
移籍の意思を変えさせようと、テレビ収録を終えた風吹さんをホテルに連れていって、話し合いをしたというのが誘拐騒ぎの真相でした。
現在でもよく聞きますが、事務所とのトラブルが原因でした。
しかし、3重契約とは、、、
世間の大騒ぎをよそに当の風吹さんはどうだったかというと…
「フジテレビの前でAの社長に”ちょっと話があるから来い”と言われ、車に乗せられて…
とにかく話は分かったから、もう疲れたし帰してくれと言ったら、朝方近くに帰してくれたの。
叩かれなんかしなかったわ。」
と語りました。
「夜から明け方までしつこく言われたんです。
とにかくハンコを捺せといって、契約書みたいなものに手を取られて拇印を捺されたんです」
と、事務所側の狡猾な手口を強調した。
しかし、契約時に録音された会話のテープが後に公開され、風吹ジュンが全てを承知の上で契約していた事が判明する。
風吹さんが語ったように事件の背後で実際に暴力団は動いておらず、X氏も暴力団関係者ではなかったという報道もなされました。
風吹さんにとっては、わりとケロッとしていた模様。
まさかこんな大事件になるなんて。
事件の傷跡
事務所間のタレント転がしと風吹ジュンの損得勘定から起きた騒動は、事務所Bに所属することで、
「人騒がせな事件」として一件落着したが、清純派アイドルとしての風吹さんのイメージは、文字通り風が吹くように消し飛んでしまいました。
中でもNHKは
「出演は、しばらく見合わせたい」
と、同年の出演番組を全てキャンセルしたほど。
ちょうど第2弾シングル「涙に微笑みを」がリリースされた時期に起こった事件でもあり、
レコード・セールスを見ても彼女の人気が急落していることがよく判る。
- 「愛がはじまる時」(1974.5)オリコン 21位 10.5万枚。
- 「涙に微笑みを」(1974.8)オリコン 52位 2.9万枚。
- 「ふたりの舗道」(1974.11)オリコン 73位 0.7万枚。
昨今でも、タレントの交通事故などのちょっとしたスキャンダルでも、イメージに傷がつきます。
CMや映画などの降板もよく聞かれますしね。
スキャンダルな記事暴露事件
この後に、彼女のアイドルとしての人気を完全に打ち砕くこととなるスキャンダラスな記事が
各週刊誌に掲載され大騒動に発展するのである。
デビュー時に公表されていたプロフィール詐称に始まり、男性遍歴まで暴かれる始末。
仕舞いには風吹ジュンと同棲していたと名乗る男が登場、肉体関係まで赤裸々に語った。
清純派アイドルの正体が暴かれた瞬間、ファンは一気に落胆した。
追い打ちをかけるように、週刊誌などが暴露記事を書いていきます。
ファンにとっては、耐えられないことですよね。
しかし、風吹ジュンは中傷的なる暴露記事にも負けず告白手記を発表する。
「・・・・これが私の全部です。
その時その時を純粋に生きてきた。
この騒動でも私を理解してくれない人に、私は弁明をしない」
自らスキャンダルな過去を積極的に肯定し、強い意思を持つ自立した女をアピールしたのである。
人気は完全に無くなった彼女であったが、翌75年に見事復活!!
人気ドラマ「寺内貫太郎一家2」など数本のTVドラマでレギュラーの座を獲得。
女優として再出発した彼女の人気も回復の兆しを見せていた。
それでも、負けない芯の強さ。
その容姿だけでなく、心もしっかりと強い方なのですね。
再び独立問題から起こった騒動
しかし76年2月、再び彼女は騒動を起こした。
バラエティー番組をスッポかしての失踪事件。
正確にいえば失踪ではなく風吹ジュンの独立問題から起こった騒動。
事務所Bとは75年9月で契約は法的にも切れており、再契約交渉中の76年1月には弁護士を通じ2月以降、事務所Bの仕事はしないという内容証明を彼女は送っていた。
風吹ジュンは2月以降も元マネージャーとともに取った仕事を地方でこなしており、彼女の弁護士は東京地裁に出演妨害禁止仮処分申請を提出していたのである。
ここまでトラブルが続くと、麻痺してきますね。
再びの事務所とのトラブル。
風吹ジュンさんと、事務所とのトラブルはなにか切っても切れない縁みたいなものがあるのかもしれません。
事務所Bとの再契約を拒んだ理由として、風吹ジュンは歌の才能に限界を感じ、ドラマへ活路を見出そうとしていたが、事務所側はあくまで歌手のほうで売り出したいと思っていた為、両者が対立したとされている。
地裁の調停は素早く、2月下旬に風吹側弁護人と事務所Bの和解が成立。
事務所Bが契約した仕事を5月まで消化、その後は風吹ジュンの芸能活動を一切妨害しないという条件で合意される。
3月、風吹ジュンは記者会見を開いた。
「自分を偽る人生はもうイヤです。
私はタレント活動を人間活動としてやりたかった。
これからはやりたい仕事だけをやっていく。
タレント失格と言われてもかまいません」
その後、干されたせいかどうか判らないが彼女は芸能界の表舞台、
メジャーな仕事から姿を消していくことに・・・
幾度となく打ち寄せる、スキャンダルや事務所とのトラブル。。。
果たして、風吹ジュンは耐えられたのでしょうか(;´Д`)
不屈の精神、輝ける今
それでも、その後、美人女優として活動を始めた風吹さんは1979年の映画「蘇える金狼」で松田優作さんを相手に見事な演技を披露して人気をよみがえらせたのです。
1992年には映画「無能の人」で日本アカデミー賞優秀助演女優賞も獲得!!
最近では、
- NHKテレビドラマ「四十八人目の忠臣」(2016年)
- TBS「家族ノカタチ」(2016年)…
- 映画「家族はつらいよ」(2016年)
- 「武曲 MUKOKU」(2017年)
などに出演されています。
これだけの試練、トラブルを乗り越えた先につかんだ栄光。
これからも素敵な笑顔を!!
現在の年齢が気になる!!身長と髪型は?
以下をご覧ください。
- 1952年5月12日生まれの65歳!!
- 身長:157 cm
- 血液型:B型
- 髪型:ミディアム・ボブ
- 本名:川添麗子 (旧姓:堀川)
- 所属:パパドゥ
- 出生地:富山県婦負郡八尾町(現・富山市八尾町)
- 学歴:京都市立花山中学校
なんと65歳!!
とてもそうは見えませんね。
非常に若々しいです。
京大卒の高校教師の父親と母親の間に生まれました
小学校5年の時に両親が離婚。
中学校2年で母親の育児放棄に伴い、兄と京都に移り住んでしまう。
暮らしは非常に貧しく京都で住んでいた家は窓の裏が崖であった。
内職やアルバイトをする日々で、高校受験前には担任教師の家で仮住まいをしていた。
京都市立日吉ヶ丘高等学校美術科を受験し、一次試験に合格。
二次試験当日に母親の再婚を知らされ、受験を放棄。
レストランなどで住み込みで働き始める。
両親の離婚に、育児放棄、貧困。。。
一言では表せませんが、毎日が非常に辛かったと思います。
特に、両親の不仲は子供に大きな遺恨を残しますからね。
天は二物を与えずといいますし、両親は選べませんものね。