今回は、原田知世さんのお姉さんについてと、知世さんの歌唱力について、ご紹介したいと思います。
原田知世の姉妹について教えてくださいな~
デビュー当時は、母親、姉と一緒に上京、自宅で同居していたそうです。
年齢が2歳年上の姉がいますね。似てるです。
まさに美人姉妹。美人女優 原田貴和子さん↓です。
- 誕生日は1965年5月21日生まれで2018年現在53歳。
- 身長163㎝
- 血液型A型
- 事務所は妹と同じ、ショーン・ハラダ
- 事務所社長は、自身の母親
1986年スペイン・イタリア・日本合作による『アフガニスタン地獄の日々』にてスクリーンデビュー(日本未公開、東宝よりビデオ発売。すでに廃盤)。
国内では大林宣彦監督の角川映画『彼のオートバイ、彼女の島』でデビュー。
妹と同じように、角川映画と縁があったのですね。
デビューがいきなり、スペイン・イタリア・日本合作なのはすごい!
名前は、原田貴和子さん。
妹の原田知世さんと同じように、芸能人となります。
私生活のほうも気になりますよね。
妹みたいに結婚はしたのでしょうか。
原田美枝子とは無関係
ちなみに、原田美枝子さんとの関係が気になりますが、全くの無関係です。
姉妹でもなんでもありません。
原田 美枝子(はらだ みえこ、本名;石橋 美枝子、1958年12月26日 – )は、東京都出身の日本の女優。原田三枝子とも。身長157cm。血液型A型。
スリーサイズはB86-W60-H88
夫は俳優の石橋凌。
3児の母(長女はシンガーソングライターの優河、次女は女優の石橋静河)。
所属事務所は舞プロモーション。
北の国から。木谷(水谷)凉子先生役。が有名。
ヤフー知恵袋でも話題でした。
それでは、お姉さんのデビューについてご紹介
デビュー前、お姉さんとは一緒にテレビの歌番組を見て歌手のマネをしていたそう。
知世さんが映画のオーディションに合格すると、貴和子さんもお母さんと一緒に上京しています。
デビュー当時は「妹そっくりな姉の女優デビュー!」っと世間から話題になったものです。
ファンの間では知世派と貴和子派に分かれるそうですが、美人姉妹ですね。
ご出身は長崎県で1986年頃に妹と同様に”角川作品”からの芸能界デビューとされています。
姉妹共演の1987年公開映画”私をスキーに連れてって”も懐かしい。
ポップな松任谷由実ユーミンの人気曲が流れる中、長野県山ノ内町の志賀高原スキー場が舞台の映画。
ただ経歴などは今いちよく分かっておらず、どのような女性であるか?等が謎ですが、妹の”原田知世”さんを見る限り「良い所のお嬢さん」っ的な感じはしますよね!!
映画をメインに活動し、テレビドラマへの出演も多くなっていました。
1990年頃になるとバラエティー番組でもチョクチョク目にするようになっていましたが、その後はお目にかかる機会が少なく芸能界を引退したのか?っと私は思っていました。
妹と大変よく似ていて、スタイル・容姿・お顔立ち等が定評でCMや女性誌にも多数出演されていました。
美人な姉妹がほぼ同時期にデビュー。
これは、引っ張りだこになるでしょうね。
1987年は私の誕生日ですので、その当時の熱狂ぶりは分からないのですが、さぞかし注目されたのでしょうね。
映画ペコロスで共演。姉妹の関係も明らかに!
原田姉妹の所属事務所によると、「離婚したのは事実です。『ペコロスの母に会いに行く』では高崎映画祭最優秀助演女優賞もいただき、女優として頑張っています」と話している。
長崎を舞台に、グループホームで暮らす認知症の母と息子のおかしくも切ない日常を描いた映画『ペコロスの母に会いに行く』が16日、公開初日。
出演の岩松了、赤木春恵、原田貴和子、大和田健介、松本若菜、森崎東監督、原作者の岡野雄一が、都内で舞台あいさつを行った。
原田は本作で実妹の原田知世と20年ぶりの姉妹共演を果たしており、「ぐっと気持ちが入りました」と心境を明かした。
原田貴和子(左)、原田知世(右)
原田姉妹の共演は、映画『私をスキーに連れてって』(1987年)、『結婚』(1993年)に続き3回目。
本作で原田貴和子は、妹・知世と幼なじみの間柄を演じており、「20年というと何だかびっくりしますね」と振り返ると、「親友同士という強い絆で結ばれた役だったので、その辺りは姉妹、ぐっと気持ちが入りましたね」と充実感をにじませた。
「撮影中は(姉妹で)あまり話はしませんでしたが、姉妹で演じることが、結果的にはすごく良かったんじゃないですか」と原田。
二人の実際の故郷でもある長崎が舞台になった作品とあって、思い入れも深いのか「わたし自身が長崎出身。故郷を離れて30年になりますが、今では2児の母になりました」と近況を述べ、「原作を読ませていただいて、わたし自身、この作品からたくさんの愛をもらいました。方言がすごく魅力的な作品で、作品をすてきに彩っていたので、正確な長崎弁をもう一度勉強して撮影に挑みました」と舞台裏を明かした。
また、舞台あいさつでは森崎監督が2日後に86歳の誕生日を迎えるとあって、花束の贈呈も行われた。
監督は「まるで映画のような、夢のような演出。いつ覚めるかもわかりませんが、できれば覚めないでほしい」と感謝の気持ちを述べた。
作品については「今作を通じて介護をすることは楽しいことだと改めて知りました。皆さんたちもやればわかります。じきに来るでしょうから慌てることもないですよ」と客席にメッセージを送っていた。
映画『ペコロスの母に会いに行く』は岡野雄一による同名のエッセイ漫画の映画化作品。
母親のみつえが暮らすホームを訪ねる主人公・岡野ゆういちとみつえの親子のやりとりや、ゆういちが幼いころ家族で過ごした時間などがユーモアたっぷりに描かれる。(取材・文 名鹿祥史)
原田貴和子は若き日のみつえを演じ、妹・知世がその友人・ちえこにふんする。
幼なじみの二人はちえこの引っ越しにより離れ離れになるが、大人になり、思いがけない形で長崎市内の歓楽街で再会する……。
原作は、62歳にして漫画家デビューを果たした岡野雄一による同名漫画。
監督は、映画『ニワトリはハダシだ』などの森崎東(崎はたつさき)。
原田は「ゆっくりと流れていく母との日々。母みつえさんを見つめる原作者岡野雄一さんのまなざしには、愛が溢れています。それはとても穏やかで、そんな二人を見ているだけで、温かな気持ちになりました。静かに胸に響く物語です」と本作を紹介。
みつえとちえこの深い友情に「どんなことがあっても生き抜いていくことの大切さや命の尊さを、あらためて感じました」と感銘を受けている。
長崎市在住の原作者・岡野をはじめ、森崎監督、岩松、原田姉妹が長崎県出身という“長崎愛”にあふれた『ペコロスの母に会いに行く』。
竹中直人や加瀬亮ら豪華キャストが脇を固めている。
主題歌は一青窈の書き下ろしによる「霞道(かすみじ)」。
ペコロスの母に会いに行く。
図書館などでも見れますので、ぜひ見てください。
現代の介護問題でもありますので、注目です。
しかし、元夫は一般人ということで明らかになっていませんし、子供の親権をどちらが持っているのか、なぜ離婚をしたのかはわかりませんでした。
子供の親権をどちらが持って暮らしていたのか?等は分かっていませんが、芸能活動を復帰したようすがないことから、以前の旦那からの”養育費”で生活をしているのではないでしょうか??
一切分かっておらず、さらに親のどちらが”親権”を握っているのか?さえ分かっていません。
まさにベールに包まれた?子供達のようです。
っと言っても?多分現在は10代前後でしょうからこれから芸能界デビューも予想されるので、徐々に真相が明らかに?なって行くことは間違いないでしょうね!?
ただ、何故数年経ってから離婚の報告を突如行ったのか疑問ですが?
もしかしたら、これから芸能界復帰のための準備?っとも受け止められているそうなので原田貴和子さんの動向が、今後注目されるところです。
現在は前夫との離婚に関して”慰謝料”や子供の”親権問題”も既に済んでいるそうです。
そりゃ~そうですよね!既に別れてから数年も経ってからの離婚報道ですからね!!
報道はありましたが、実は多くのことは分かっていません。
子供たちの画像なども謎のまま。
親権もそうですが、離婚理由も明らかになっていません。
妹の原田知世さんは、かなり詳しく書かれているので、非常に対照的ですよね。
まあ、ここらへんはネームバリューなどもありますので、仕方ないところもありますが。
今現在の自宅はどこなの?分かっているの?
知世さんの自宅は、姉喜和子さん家族が住んでいるマンションからほど近い所に住んでいるらしく、行き来していて姉妹仲も良いみたいですね
2014年の情報ですが、姉妹の母親は千葉県に自宅があって、千葉に母の顔を見に行くこともあるようです。
ネット上では千葉県佐倉市ではないかと噂されています。
原田知世さんの自宅があると噂されているのは、この新興住宅地エリアであるユーカリが丘にあるといわれているようです。
それにしても、芸能人の自宅といえば東京都内というイメージが大きいですから、千葉県というのは予想外。
浦安市あたりならまだしも、佐倉市とは、やや遠い感じがしますね?
もしこの情報が本当なら、生活上、自宅にファンが来たり、大変そう。
事実だとしても、そっとしておいてあげたいですよね。
千葉県佐倉市は千葉の北部に位置する街で、住宅街もあるのですが農村地帯広がる自然と緑が豊かな場所でもあります。
住宅街もマンションといった建物はほとんどなく、家が密集しておらず静かな場所なのだそうです。
また、過去には城下町として栄えた街でもあり、今でもその名残を見ることができます。
そういった古きを大事にする街並みも残しつつ、ユーカリが丘といった新興住宅地も存在しており、歴史と現代がうまく融合した街として人気が出ているようです。
ここまで細かく噂されていたとは意外ですね。
有名税といいますが、自宅の場所まで特定されているのですから、落ち着かないのではというのが庶民の気持ち。
閑静な住宅街というよりは、心地よい田舎なイメージ。
それで実家はどこか分かっているの?今も暮らしているの?
原田貴和子・知世姉妹が20年振りの共演を果たすわけであって、言わずもがな、二人は長崎市出身、実家は浦上駅前の某酒店である(と僕は聞かされている)。
あくまで噂のようですが、JR長崎本線浦上駅の前の酒店が実家だと言われていました!
ここまで詳しく特定されているということは、地元では有名なのかもしれません。
もし本当に客商売ということなら、原田さんの実家ということで、売れ行きもいいのかもしれないですね!
またしても、詳しく特定。
しかも、駅前の酒屋というところまで。
ほぼほぼ特定されていますよね。
まあ、商売をされているようなので、売上UPには良いかもしれませんね。
原田知世さんブランドのお酒とかあるのでしょうか?
歌手が主業! でも歌声は…歌下手ってホントなの?
現在は女優よりも、歌手業に力を入れている原田知世さん。
そんな原田さんですが、歌唱力への疑惑があるそうで。。。
知恵袋での感想
一般視聴者の意見です。
原田知世さんってすごく歌下手ですよね?
昨日、たまたま見ていた堂本兄弟に少し映っていて『時をかける少女』を歌っていたのですが素人かと思うほどの下手くそ具合で驚きました。
あれが彼女の芸風(?)なんですか?
映像を観てないんで、何とも言えないですが。。
過去に、音楽界の重鎮である鈴木慶一のプロデュースを受け、彼から絶賛されたり、ギターデュオのゴンチチと仕事をした時には、「声そのものが美しい楽器のようだ」と言わしめてます。
最近でも、細野晴臣のラブコールを受けバンドを結成したり、とかなりミュージシャン、玄人からの評判はいいですよ。
音楽性も、どちらかというとヒット性はあまりないですが、独特の世界がありますね。
玄人好みというか、音楽業界内では評価が高いようですね。
少なくとも、CDやライブで聴く限りは、下手でないですよ。テレビ出演をあまりしないので、緊張してたのでしょうか??
嫌いな人は嫌いみたいですが自分は好きだし下手とは思わないですよ。
歌唱力は人それぞれです。
好みといえばそれまでですが、人によっては下手というイメージがあることは確かなようです。
他にも、BSプレミアム「カヴァーズ」を聴いて、下手だという声もありました。
原田知世主演の「時をかける少女」について。
「時をかける少女」はあまりにも有名ですよね!
曲は松任谷由実の曲なのでいい曲ですが(なお夫の松任谷正隆が、映画に遺影で登場しています。彼は、「晴れ、ときどき殺人」への出演など、角川映画と多少付き合いがありました)、歌は、あんまりうまくないよね(苦笑)。
うーん、YouTubeのコメント欄にもありますように、口パクでなく本当に歌っているので、かなり、いやひどく下手ですね(苦笑)。
別に彼女は歌手志望ではないし(真田広之にあこがれて、オーディションに参加したとのこと)、下手なのは仕方ありませんが、歌番組が衰えて、ある程度歌い手の実力も厳選されている昨今のレベルからするとやはり厳しいですよね。
もっとも彼女は、現在でも歌手は続けています。
どうやら、デビュー当時の頃の歌唱力が下手といっているようです。
原田知世『2000 Best』より。歌唱力がグイグイ上達していることが分かる件
1982年から1988年までの知世さんのベストですね。
複数のレコード会社を超えた企画として、多数のアーティストのベスト盤が出た2000年の企画の一つです。
「時をかける少女」
「ダンデライオン」
「守ってあげたい」
このベスト盤に於いて最も歌唱力不足を露呈しているのがこれらの、1983~1984年のトラックですね。
声に張りはナイし、全般的に声量不足。
高音はフラットするし、アチコチでフラつく。
が、意外にも全体的な音程はそれほど悪くないデスね。
だから、音感がナイというレベルの「音痴」ではなく、「上手くナイね~」というハナシだと思います。
一方、リズムの面では、ゆったりしたテンポでは、リズムが前に行き過ぎると言う、素人の多くが陥る(ワタシも陥る)欠点があります。
どう聴いても、休符を待ちきれてません。
特に「ダンデライオン」。ゆったりしたテンポの方が誤摩化しが利かないというのは、こういう曲を聴くと良く分かります。
「天国にいちばん近い島」1985年。
音程的の面では、ほぼ完成。フラットする部分も、良く聴かなきゃあんまりない。良く聴けばソコソコありマスが・・・。
ただし、ですね。とても丁寧に歌っているのが分かります。
だからして、リズムのズレは既にほぼ無い。
そして、声の響きを使い分ける歌唱法の萌芽がありますね。
「早春物語」1985年。
未だ安定する前の時期ではありマスが、実に完成度の高い技巧的な歌唱。
「張る」事ではなく「抜く」ことで生む緊張感。
この歌唱にはマジで驚く。
今日の技巧派としての「芽」ではなく、既に「実」があります。
声量を必要としない楽曲であるコトが「吉」と出た面もあるでしょうが、この歌唱は、簡単に出来るモンではナイです。
素晴らしい技術だと思います。
必聴です。
「どうしてますか」1986年
「早春物語」のような技巧は駆使せず素直な歌唱。
既に、コノ時期になると、どう聴いても音痴でもヘタでもない。
が、欠点を言うなら、声のノビが足りない。
コレは肺活量不足とか筋力不足によるものでしょう。
よく聴くと、その部分で苦労しているのが聴いてとれる。
特にサビの部分を注意して聴くと、声を張ろうとしているのに気が付く。
澄んだ声でも消え入らない、強さと透明感の両立を目指していたンだと思いますが、成功には至ってません。
ただし、どう聴いても「ヘタ」では全くない。
そして、同じ年の「雨のプラネタリウム」。
あっと言う間に弱点を克服して強さをゲット。
なんだコノ上達ぶりは?
翌、1987年、「彼と彼女のソネット」。
完璧な歌唱。
コレ聴いて、「上手い」と思わないヒトはまず居ないでしょう。
でも、このレベルでも、技巧的には90年代半ば以降のレベルには、まだまだ達してナイんですよね。(90年代半ばからの知世さんは、ホントにトンでもなくスッゲェってコトですね。)
で、このベスト盤は、最後の三曲は、「時をかける少女」より以前の、最初期のものが入ってます。そんで、不思議な事に、1982年の二曲は、83年頃よりは上手い。(上手くはナイけど)
一番売れた、というか目立って世に出て来た1983~1984年が、歌唱力の底だったのぉ?
と言うコトで検証してみましたが、「ヘタ」だったのは、デビューの82年から、ぜいぜい84年までで、「歌が下手」と言われていたのは、まだ歌唱力が完成する前、「子供の延長」でしかなかった時期だと言ってイイんじゃないの?
やはり、歌下手というイメージが、時をかける少女でついてしまったと。
ですが、その後、とても上達していることに大衆のイメージがついて行ってない感じ。
FNS歌謡祭2016冬の「時をかける少女」コラボの影響
欅坂46が原田知世さんと「時をかける少女」をコラボすることで話題に。
なんと2回目のコラボになりますが、気になるのは欅坂46センター さんの歌唱力について。
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RSRリハ終了!素敵なメンバーの皆さんとご一緒できて嬉しい!!!8/14楽しみです!!! 堀江博久presents ”Lounge Bohemia”
オリジナルはかなり高いキーで歌わされてたということです。
知世ちゃんが、サビのところで、声が裏返ってしまうのを聴かされて、下手くそだな、なんて思っていましたけど、もしかしたら、わざと高いキーにしていたのかもしれません。
「作られた歌下手」だとしたら、いくら売れるためとはいえ、酷いことをする大人たちです。
まあ、僕も、そんな状況で、はにかみながら歌う知世ちゃんを見て、応援してたんですから、まんまと戦略にのせられたってことなんでしょうけど。
欅坂46の
さんの歌唱力から、連想されて、原田知世さんも歌下手というイメージがついたのかもしれません。また、デビュー当時、会社から、かなり高いキーで歌うように仕向けられていたようで。
つまり、「わざと」下手なイメージを大衆に植え付けたのではないかとのこと。
それでも、真摯に歌手として向き合う原田知世
本当に大好きなんですね。
あの当時は、あくまでも映画のための音楽だったので、歌もコンサートも、映画のプロモーションのためにやっていて、女優の仕事がメインでしたね。
(音楽との向き合い方も今とは)全然違ったと思います。
今は自由に、楽しみながらのびのびと歌えるようになりました。
あの時は、ただただ一生懸命に、すべてのことを必死にやっていましたね。
今聴いてて。
最高です(T ^ T)
必聴。#ルールブルー #原田知世 https://t.co/wrnnQtWn4k pic.twitter.com/00mRcldRCA— 安田顕 (@yasu_da_ken) 2019年1月17日
年を重ねるごとにわたし自身が変化していて、音楽にもそれが表れていると思います。
変わらないところは、毎回、また新しい扉を開いてくれるような方とアルバム作りをすること。
かわいい💕#原田知世
半分、青い。 pic.twitter.com/5TT1FstOJY— みみやさい (@mimiyasai) 2019年4月6日
いまの自分がもっとも反映される場所というか……“素”に近いんです。
だから、振り返ると、アルバムごとにそのときの自分がいる。
その時々の作家の方々が、等身大の私をしっかり見つめて曲を書いて下さっていて、曲のなかに自分の姿が見える気がしました。
ずっと〈日常と音楽が近くなればいいな〉と思ってきたんですけど、ゴローさんとの10年でその理想の形が実現できた気がします。
私にとって、ここ(音楽)が帰る場所になってきているんだと思います。
女優業よりも、歌手業をメインに置いている女優さんは非常に珍しいです。
しかも、こういう形で50代になって歌い続けている。
原田知世さんの歌がいつまでも続くといいですね。